長女そらの時(8歳)2020年
フォスターさんが作る曲って、どうしてこんなに耳に残るんでしょうね〜。1回聴いたら忘れられない名曲がたくさんあります。
以前はフォスターさんのこの曲を紹介させて頂きました↓
『おおスザンナ』作曲:S.フォスター(アレンジ・ヤマハ J専1年)
長女そらの時(8歳)2019年 この曲『おおスザンナ』も作者『S.フォスター』も有名なので、「あ!知ってるー!」 というかたが多いのでは? アレンジする時のステップに倣って、この曲も step1メロデ ...
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スティーブン・コリンズ・フォスターさんってどんな人?
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比較的裕福な家庭の10人兄弟の末っ子。
ヴァイオリン演奏が趣味の父と、詩情豊かな教養に富む母に育てられたフォスターは、幼児期より並ならぬ音楽的才能を見せた。
7歳から横笛を、9歳からはギターを独学で習得し、後にはクラリネットも修め、15歳の時に『ティオガ円舞曲』という自作曲をフルートで演奏した。
作曲に興味を持ったフォスターは、モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバーらの作品を寝る間も惜しみ研究していたという。
最初に出版された歌曲は「窓を開け、恋人よ」(Open Thy Lattice, Love)で、16歳の時の作品だそうです。
その後は兄の蒸気船海運会社で簿記係を務めつつ、作曲活動も継続していました。
24歳で結婚し、翌年長女が誕生。その後多くのヒット曲を世に送り出しています。
フォスターはプロの歌曲作家として生計を立てようとし、実際にプロの作曲家ではあったものの、当時のアメリカでは現代的な意味で「作曲家」という職業分野が確立されていなかったため、自作曲がどんなに売れてもフォスターが受け取る印税はほんのわずかだったそうです。
29歳の時、追い討ちをかけるような人生の転機が訪れます。両親と兄を続けて亡くした影響でひどい困窮状況に陥り、やがて妻子も去ってゆき、フォスターは次第に酒に溺れ、孤独に苛まれてゆきます。
37歳の時、ホテルに滞在中であったフォスターは、発熱していたためか洗面所で転倒。その際に頭部を洗面台にぶつけて割ってしまい、その破片で頚動脈を切断されたことが致命傷になり死亡したと推測されている。
部屋には、「親愛なる友だちとやさしき心よ」(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片が残されていた。これは、作りかけの曲のタイトルだったのか、それとも遺書のようなものだったのか…
フォスターの楽曲を聴いていても、この最後のメモ書きからも、フォスターさんがとても心優しい人だったことが伝わってきます。
現代においても電話の保留音に使われるなどして有名な「夢見る人」(「夢路より」)は、フォスターが亡くなる2年前に出来ていた曲ですが、発表されたのは死後2か月経ってから。
もし、当時「作曲家」という職業が確立されていたとしたら、更に多くの名曲が生み出されていたかもしれませんね。(生涯で300曲程作曲し、その内200曲程が出版された)
フォスターさんについて、もっと詳しく知りたい方はこちらをどうぞ→世界の民謡・童謡 / スティーブン・フォスター有名な曲・歌詞の意味・人生
今回ご紹介する『くさけいば』も超有名なので、皆さんもよくご存知だと思います。
この曲では、いつものメロディー変奏と伴奏変えに加えてイントロとコーダ(アウトロ)についても学びました。
ー 今回の課題 ー
『くさけいば』の真似をしても良いし、自分で考えても良いので『みつばちマーチ』のイントロとコーダを作ってみよう!という課題が出ました。
この課題は後に、JOCのための作曲時に大活躍する重要なポイントとなりました。
イントロとコーダがあるとないとでは、曲の仕上がり具合が全然違うということを実感。
動画はイントロとコーダは含んでいませんが、原曲→アレンジの順で弾いています。